先月、都忘れを鉢に植え、その名の由来となった順徳天皇について書いた。承久の乱で佐渡に流された順徳天皇の都への想いは、新幹線に乗れば2時間半で帰京できるぼくの想像力を遥かに超えるであろうが、彼の地で火葬された後に、後鳥羽天皇と共に埋葬された大原陵を訪ねてみたくなった。

早朝の賀茂川
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大原陵への道中、黒谷青龍寺と惟高親王の墓に参りたくて、出町柳から京都バスに乗ろうと思ったが、本数が少ないのと、予定していた日が雨だったので、あらためて作戦を練ってみると、我ながら良いアイデアを思い付いた。京都の老舗ハンドメイド、VIGOREのレンタサイクルで30数年振りに大原まで走ろうではないか。早速問い合わせてみたら、ちょうどぼくのサイズがお借りできることになった。

まだ肌寒い早朝、高野川沿い国道367号を北上する。北山通を過ぎたあたりで河の対岸で数匹の鹿が雑草を食んでいるのには驚いた。これは神の遣いか、あるいは獣害か。最近増えたと教えてくれた散歩中のおじさんと話していると、利用しようかと思っていた京都バスが通過して行った。

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蓮華寺崇道神社は素通りしたが、八瀬八幡宮社には一瞬立ち寄った。誰も観光客が来ない参道を自転車を押して歩き、階段の手前で本殿に向かって掌を合わせる。Uターンして来た道を戻ると朝陽に照らされた山の新緑が美しく輝いていた。鳥居の横のスロープから降りて振り返ると、ちょうど鳥居と本殿の一直線上の山の稜線から太陽が顔を出し始めた。太陽が昇るそして沈む方角と神社は密接な関係にあることは理屈では知っていたが、この時間にこの場所に居合わせたことに感謝し、感慨に耽る。あらためて自転車を借りて良かったと思った。

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黒谷青龍寺は八瀬を過ぎたあたりから国道367号を外れ、比叡山延暦寺に通じる険しい山道の途中にある。さすがに担いで登ることはできず、100%安全な場所に自転車をLOCKして登り始める。連日の雨で滑りやすい道をゆっくり登る。

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黒谷は比叡山の中でも別所と言われ、俗世と関わりを断ち切る隠遁の地であり、青龍寺はその昔、法然上人が25年にも亘りお籠りになっていた霊場である。鹿一匹が横切った以外は、誰とも出会わず、青龍寺に辿り着いた。

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現在は知恩院が管理して、いつもは人がおらず、門にも竹の通せんぼがしてある。跨いで入ることは簡単であるが、〇国人観光客のようなことはせず、門から写真を撮らせていただき掌を合わせ、今来た山道を下る。

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朝陽で温められた水分が蒸発するのだろうか、幻想的に煙る木々の間を膝を庇いながらゆっくり下る。さきほど登ったときには気が付かなかった不思議な白い花を見つけた。いや、これは花だろうか、きのこだろうか、あるいは森の精霊か!?しゃがみ込んで写真を撮っていると慣れた様子でひとりで登ってきた人がいたので尋ねてみた。その方も驚いた様子で「ギンリョウソウ(銀竜草)」だと教えてくださった。大変珍しい花だそうで「何か良いことありそうですね」とお互い感謝して別れた。

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再び国道367号を走り、土井のしば漬けを過ぎて、惟高親王(844 – 897)の墓に向かう。第55代文徳天皇(在位 850 – 858)の第一皇子である惟高親王が皇位を継承すると目されていたが、藤原家出身の母をもつ第四皇子である惟仁親王が清和天皇(在位 858- 876)として即位した。悲運の皇子といわれるが、昔はこれくらいの皇位継承争いは珍しくもなかったと思うが、同じく皇位継承から外れ、伊勢物語の主人公のモデルとされる在原業平と親交があることから、その悲劇性が強調されているのかもしれない。

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大原や雲ケ畑そして近江など、何か所かで隠棲していたせいか、惟高親王の墓も複数あるようだが、最後は大原に埋葬されることを遺言し、宮内庁もここを「文徳天皇皇子惟高親王墓」としている。大原の里を見下ろす山の中腹にあるが、残念のはなぜか周りの樹が伐採されて、墓の日当たりが良すぎて苔が茶色く変色してしまっている。誰も来ない山中の違法伐採でないことを祈る。

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いよいよ大原陵である。できるだけ人混みは避けたいが、三千院のすぐ隣に位置する大原陵へはどうしても三千院へ向かう観光客に揉まれてしまう。しかし、心配していたほどではなく、すんなり大原陵に辿り着いた。

木に覆われて陵墓は見えず、左に後鳥羽天皇、右に順徳天皇の碑が立っている。隠岐と佐渡に流された親子が大原の地で眠る。三千院への参道に並ぶ土産物屋の軒先に都忘れの鉢植えを見つけた。順徳天皇への哀悼か、あるいは季節的には都忘れが珍しくないだけかはわからない。

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VIGOREとの歴史探索の最後を飾るのは30数年振りに江文峠を越えて向かう貴船の奥宮。貴船神社といえば、朱色の灯籠が並ぶ階段が有名だが、実は中宮(結の社)では磐長姫命(いわながひめ)が、奥宮では玉依姫命(たまよりひめ)が祀られている。奥宮までは観光客も押し寄せないだろうと思って、途中の川床エリアの渋滞を我慢して奥宮まで行こうと考えた。懐かしさに浸りつつペダルを踏み続け、やっと奥宮に到着。想定以上に観光客が多かったが、この空気感に心が洗われる。

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貴船神社の起源は、初代神武天皇の皇母、玉依姫命が淀川~鴨川~貴船川を黄色い船に乗ってこの地に辿り着き祠を構えて水源地とした。その黃(貴)船を隠すために小石を周りに張り付けたという岩の船が今も鎮座する。

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ぼくの記憶よりキツイ江文峠の勾配はVIGOREの今時のギア比に助けられつつも、フラットペダルにスニーカーのペダリングは引き上げ脚が使えず、かなり苦戦した。いつもはシューズをペダルに固定しているので無意識のうちに、とくに登りは、引き上げる脚を上手く使っているようだ。そして、40年もロードレーサーに乗っているのでお尻の皮の厚さには自信があったが、今回は普通の短パン。痛くはならなかったが、レーサーパンツの機能性(必要性)を再認識した。

快適なVIGOREのおかげで期待以上に充実した歴史探訪となった。
聖登さん有紀さん、ありがとうございました (^o^)v

本日の走行距離 50.00km(サイコンなしなので肌感覚で)
2025年7月26日からの走行距離 1436.98m
寄付予定額  14370円
2020年7月26日からの累積走行距離 11,725.30km
SCを出てChicagoまで 1039.70km

参考
法然上人二十五霊場
東近江市観光Web
京都大原記念病院グループ
貴船神社

投稿者

Seiji

三連勝 3RENSHO に四半期乗り、COLNAGO CLX3.0を経由して、COLNAGO C59に辿り着きました。そして最近、一度は手放した三連勝を再び手に入れました。C59と三連勝であちこち走る様子をお伝えします。

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