明治節の3連休、暖かく風も穏やかな晴天が続いたが、諸事情によりC59 rideには出撃できず、家にいる時間が長かったので、そろそろ三連勝の想い出の最期を書いてみる気になった。
昔の重いギア比では峠を越えるのが苦しくなり、ぼくに誘われて今どきのDe Rosaを買った先輩に置いて行かれることが多かった。チェーンリンクはアウター50とインナー40だったが、Suginoのクランクでインナーを34にできないか、フリーを大きなギアにできないか、色々考えたが、リアディレイラーがキャパシティオーバーになる可能性と直付けのフロントディレイラーが34にすると位置が合わないように思われた。あれこれ悩んだ末に、三連勝を引き継いだMakinoに持ち込んで相談してみることにした。
開口一番「まだ大事に乗ってくれてるんだ」と嬉しそうに言ってくださった牧野さんに事情を説明していると、他のスタッフが集まってきた。名前は伏せておくが、あるスタッフが、「まだこんなの乗ってるの?これをインナー34にするより、安くていいから今どきの自転車を買った方よっぽどいいよ。しかも、これ、キョウシンで作ったやつじゃん。再塗装してるでしょ?再塗装する金があったなら最初からカタナ(上位モデル)にしとけば良かったのに」とバカにしたように言い放った。
キョウシンというのはどうやら下請け工場のようだ。つまり、ぼくの三連勝はシクロウネで今野さんや牧野さんらが製作した上位モデル(フレーム)ではなく、下請けに外注していた下位モデルということでバカにしたのだ。確かにぼくも上位モデルが欲しかったが、19歳当時のぼくの経済力では上位モデルを買うのは難しかった。外注した下位モデルであっても、三連勝というブランドを立ち上げた今野義というカリスマが「三連勝」を名乗って販売していたフレームである。このスタッフもシクロウネ時代から三連勝に携わっていたはずだが、自分たちが販売したフレームを四半世紀も大切に乗り続けていることをバカにしたのだ。
残念で腹も立ったが、これで新しいロードレーサーを買う決心がついたのも事実だ。新しい相棒に選んだのがCOLNAGO CLX3.0である。Makinoのスタッフにバカにされたが、琵琶湖一周や途中越~小浜~周山、沖縄、サウスキャロライナ、霞ヶ浦一周、八ヶ岳、そして野反湖など、ぼくと長年一緒に走った「ぼくの三連勝」を愛し続け、フラットなコースを走る用に動態保存しおくことにした。
2015年12月、そんな三連勝をついに手放すときがきた。前職で酷いパワハラを受け、給料を大幅に減らされたとき、小遣稼ぎにネットオークションを通じて売ることにした。霞ヶ浦近くにお住いのぼくと同世代の方が長年にわたり三連勝に乗っておられて、中学生のお子さんにも三連勝に乗せてやりたいと買ってくださった。ぼくの小さいフレームがまだ中学生のお子さんにちょうど良かったのだ。下位モデルであることをご理解のうえ、そして、ハンドルがチネリのクリテリウムだったり、シートポストがカンパのエアロだったり、リアディレイラーがサンツアーのシュパーブプロだったり、マニアな人ならわかる逸品を喜んでくださった。親子で三連勝に乗って霞ヶ浦や筑波山へのサイクリングを楽しまれたのではないだろうか。そのお子さんもすでに二十歳を過ぎただろう。ぼくの三連勝はとっくに小さくなってさらに次のオーナーに引き継がれたか、あるいは廃車になったかぼくには知る由もない。
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