最近仕事が忙しかったり、週末も用事があったり、天気が悪かったりでC59に乗ることができないので、今のうちに、1990年の夏、三連勝で走りまくった沖縄の思い出を当時書き残した日記をもとに書き下ろす。30年前のフィルムは劣化が激しく、綺麗にスキャンできないが、当時のワクワクが甦る。

大学3回生の夏、大阪南港からフェリーに乗って沖縄に向かった。那覇までの2泊3日の船旅は退屈するだろうと思っていたが、予想に反して楽しかった。当時のぼくより10歳ほど年上の大阪の土井おじさんは各地でアルバイトをしながら世界中を旅していて、これからアラヤのMTBで沖縄を走る。同じ自転車仲間だからとユースホステルの予約とセットになっていた食券を1枚わけてくれた。KawasakiのZephyrに乗るみゆき姉さんは千葉県を出発して日本一周の最中だった。

当時は自転車のウエアはまだまだ高かったのでいつもTシャツで走っていた

土井おじさんがヨットで南十字星と北斗七星とハレー彗星が見える地点に行った話やアフリカの砂漠をMTBで走った話などワクワクする話をたくさん聞かせてくれて退屈することなく消灯時間を迎える。この二人にはその後何度か手紙をいただいた。

東平安名岬

那覇からさらに宮古島へ行く船は翌日の午後なので、公設市場で豚の顔や足を眺めて2階でソーキそばを食べる。海軍司令豪、豊見城の病院豪などを訪問。早めの晩ごはんは国際通りのA&Wでフィッシュバーガー、オニオンリング、そしてルートビア、美味い。

東平安名岬 遠くに灯台が見えてきた

宮古島ではまず東平安名崎を目指す。車がほとんど来ない広い道は自転車のパラダイスだった。東平安名崎の絶景は筆舌に尽くしがたく、52歳になった今でも絶景No. 1である。岬の灯台でしばらく海を眺めてムイガー断崖に向かう。追い風もあってか50-17で走り続ける。

東平安名岬の灯台

コンビニはもちろん自動販売機がない宮古島の田舎道で、用意したボトルがかなり前に空っぽになり、そろそろヤバいと思い始めた頃、道路工事のおじさんたちを発見。道を教えていただきつつ、遠慮がちに大きなウォータージャグを指さして水を一杯飲んでいいですか?と尋ねると「その水筒にいっぱい入れたらええ」と言ってくださったので遠慮なくいただいた。地獄に仏とは正にこのことである。日焼けしたゴツイ顔に心の中で手を合わせて再スタート。

そして、砂山ビーチは他に誰もいない「プライベートビーチ」だった。一日中ボーとしていたいが再び走り続ける。

台風で2日足止めされた後に石垣島に渡る。平久保崎燈台や川平湾を巡りながら島を一周。行く先々で遭遇する観光客にチャーターされたタクシーの運転手に「もう追いついたのか、早いな」と驚かれる。見通しの良い道では、自身ロードに乗るという地元の原付兄ちゃんが並走しながら「力強い走りだね」と楽しく話しかけてきた。

那覇に戻り、本島の半分くらいを走る。中城城を見学して、嘉手納基地を見下ろす「サンパウルの丘」からF15やF18の離発着、巨体を横たえるC130、重そうに着陸するAWACS等々を眺める。8月にイラクがクウェートを侵攻して始まった湾岸戦争の最中である。

時間はあるが金はない大学生の貧乏旅行は2週間にわたり、絶景あり、台風あり、出会いあり、三連勝の走りを満喫した楽しい思い出となった。

台風もあったけど、2週間でこんがり日焼けした帰りの航路

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