8月の京都でまだ書いていなかった小野篁と紫式部のお墓について書く。小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は閻魔大王に使えた平安時代の不思議な人物である。紫式部は言うまでもなく「源氏物語」の作者である。この二人がなぜか隣どうしでひっそりと永眠している。しかも、その場所が有名な大きなお寺の一角などではなく、北大路通と紫明通の間の堀川通西側にある島津製作所紫野工場に食い込む形でこの二人のお墓だけが鎮座している。
なぜだ!?
小野篁は(802年〜852年)、紫式部は (978?- 1015?)と 「?」で表記されるがいずれにせよ、接点はない。紫式部が小野篁に恋していたという説もあるが、だからといって紫式部が自分で小野篁の横に墓を作ったわけではなかろう。源氏物語は今で言うなら不倫略奪愛の話であり、当時は世を惑わした罪で地獄に落ちたといわれる紫式部を気の毒に思った人々が小野篁に助けてもらえるように墓を隣に移したという説。いずれせよ、俄かには信じ難い。
謎は深まり、そして歴史ロマンは続く。
小野篁については2022年5月21日に「珍皇寺」で詳しく書いたのでそちらもご覧いただきたい。