
暑くなる前の早朝、紫陽花にはまだ早いかなと思いつつ、しかし、全面満開の状態より咲いているのと蕾が混在しているほうが趣があるので、紫陽花で有名な三室戸寺を訪れることにした。光仁天皇(第49代)が770年に御室戸寺として建立し、その後、花山天皇(第65代)および白河天皇(第72代)の離宮となったことから、三室戸寺と呼ばれるようになった。三井寺の開祖である智証大師が滞在したり、三井寺の隆明大僧正が移り住職を務めるなど、三室戸寺は三井寺の別院であったようだ。

京阪電車を中書島駅で宇治行きに乗り換え三室戸寺駅で降り、拝観開始まで時間があったので、駅の近くの菟道稚郎子尊(うじのわきいらつこのみこと)の陵墓に参る。近くを宇治川が流れ、豊臣秀吉が構築したお土居が残る。陵墓からは鳥や蛙の鳴き声が激しく聴こえ、貴重な生息地となっているのであろう。
応神天皇(第15代)が幼少時より温厚で博識聡明だった第6皇子の菟道稚郎子尊を皇太子としたのが気に入らない第2皇子の大山守命が菟道稚郎子尊を襲うが、第4皇子の大雀命(大鷦鷯尊 おおさざきのみこと)が協力して大山守命を撃退する。応神天皇崩御(310年)の後、菟道稚郎子尊が即位すると思われたが、兄の大雀命に皇位を譲ろうとする。大雀命は先帝の意志に背くべきではないと固辞する。そのため約3年、皇位が空白になり、世が乱れ始めたので、菟道稚郎子尊が自ら命を絶つことにより、大雀命が第16代仁徳天皇として即位する。

今では「宇治」と表記するが、由来は菟道稚郎子尊の「うじ」だという説もある。菟道稚郎子尊を御祭神とする宇治神社には兎が祀られている。菟道稚郎子尊が道に迷った際、兎が振り向き振り向き道案内をしてくれたそうだ。おみくじはみかえり兎の小さな置物の中に入っている。
陵墓から三室戸寺に向かう途中のセブンイレブンに立ち寄ると、ロードレーサーが集合していたが、CHERUBIMを3台も見つけたので声を掛けずにはいられなかった。今日は普通にTシャツ短パンだが、ぼくも自転車乗りなんですと短パンを少しめくり太腿のレーサーパンツ焼けを見せると納得された。最近では男性でも日焼けを避ける方が多いが、古い自転車乗りとしては、太腿の日焼けはアイデンティティである。しばらく立ち話をさせていただくと、早速ぼくのYouTubeのCH登録をしてくださった。ありがとうございます!!

緩やかな坂を上がり、三室戸寺に到着。結論からいうと、残念ながら紫陽花には早過ぎた。それはしょうがないとしても、幻滅したのが、最近、設置されたと思われるピカピカツルツルの「宇賀神」と「福徳兎」と「宝勝牛」である。それに触ると願いが叶うとか勝運が上がるとか書かれており、寺のWEBページを見るとそれぞれの伝承が説明されている。伝承にあやかろうと設置したのだろうが、明らかに最近設置されたピカピカツルツルにはどうもありがたみを感じない。

そしてさらにシラけたのは、本堂に上がる階段の下に設置されたプランターの紫陽花である。毎年テーマを変えたアート作品は話題となっているようだが、あまりに俗物的で興覚めである。

気持ちを切り替えて、京阪で四条に戻り、祇園白川を歩く。ここも観光客がいなければ風情があって写真を撮りたいが、今日のお目当ては、白川三条下ルの和菓子屋「餅寅」と「明智光秀の首塚」である。諸説あるかもしれないが、本能寺の変の後、近江の坂本に逃れる途中に襲われ自刃した光秀の首を臣下がここまで運んで埋めたという祠と五輪塔は、住宅街の路地に突然現れる。

歴史的には超ビッグネームだが、「裏切り者」としては有名寺院に大きな墓を作るわけにいかなかったのであろう。まだまだ謎の多い本能寺の変だが、明智家の家紋の桔梗がついた光秀饅頭を食べながら歴史ロマンに想いを馳せる。

参考:
笠原英彦 『歴代天皇総覧-皇位はどう継承されたか』 中公新書
竹田恒泰 『古事記完全講義』 学研
三室戸寺 https://www.mimurotoji.com/
宇治上神社 https://www.ujikamijinja.jp/cont1/8.html
宇治神社 https://uji-jinja.com/about/index.html