正月三が日を外して1月4日~6日に京都に帰る。今回のメインテーマは「抹茶スイーツ食べ歩き」であるが、その合間に歴史探訪を試みた。天候に恵まれ、新幹線の車窓から富士山と伊吹山(滋賀県)が綺麗に見えた。伊吹山は高さ1377mと高くはないが、気象は厳しくナメてかかると容易に遭難するらしい。それもそのはず、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は伊吹の神の怒りに触れて激しい氷雨に襲われ、それが原因となって伊勢の近く亀山あたりで命絶えるのである。日本武尊は第12代景行天皇の皇子で、その命を受けて各地を征討し、退治した八岐大蛇の尻尾から出てきた剣が後に天叢雲剣のとして三種の神器になっている日本国の大英雄であるが謎も多い。(追記: …と書いてしまいましたが、八岐大蛇を退治したのは天照大御神の弟神、素戔嗚尊ですね、申し訳ありません。天叢雲剣を持って日本武尊が東征に出て、後に草薙の剣とも呼ばれるようになる。しかし、伊吹山に行くときはなぜかその剣を持って行かなかった、ということですね。いずれにせよ、日本国の大英雄に変わりはありません)
京都に到着してまず、『美味しい旅 想い出編』に出てきた高辻通の高木珈琲のプリンが食べたかったが煙草の煙が嫌で退散。烏丸通を北上して丸太町通から重要文化財である京都府庁旧館にできたお洒落なカフェ「salon de 1904」で前田珈琲をいただく。混んでいると隣の待合室に通されるのだが、ここも以前は執務室だったのか赤絨毯のお洒落な空間で待ち時間も楽しめる。
再び烏丸通に出て和気清麻呂と猪を祀る、そして自転車乗りにはありがたい護王神社に立ち寄った。清麻呂公は弓削道鏡を天位につけるべしとする宇佐八幡宮の神託の真贋を確認するため宮まで赴き、皇位簒奪を謀った道教の野望を挫いたこれまた日本国の大英雄である。怒った道教に脚の腱を切断され、立つこともできなくなった清麻呂公を助けたのが300匹の猪である。やがて清麻呂公の脚も治癒したことから護王神社は足腰にご利益があるとされる。道教を過度に重用(寵愛)した称徳天皇(男系の女性天皇)が「道教が天位につけば天下は太平となる」という嘘の神託を鵜呑みにせず、確認のために清麻呂公を宇佐八幡宮に派遣した意味は大きい。もし道教が皇位についていれば、8世紀の時点ですでに万世一系が途切れることになる。
さらに烏丸通を北上し、雲龍の俵屋吉富で練り切りをいくつか買い求めた。このあたりは烏丸通から西に一本入った室町通や室町小学校の名前に残っているように、室町幕府の中心だった。三代将軍の足利義満が建立した相国寺を抜けて、出町柳から祇園四条に出る。花見小路を歩いて文久元年(1861)創業の宇治茶問屋「北川半兵衞商店」が営むカフェ「祇園 北川半兵衛」で豪華な抹茶スイーツを堪能し、極上玉露の茶葉100gを買った。
豪華抹茶スイーツに大満足した後は石塀小路の風情を愛でて、観光客の大混雑を覚悟の上で、二年坂~三年坂から清水寺に向かう。人混みは極力避けたいが、どうしても夕暮れ時に清水の舞台から西の空の夕焼けが見たかったので忍の一字で我慢する。清水坂を下り、タクシーを拾って夜景を見に将軍塚へ。将軍塚については8月28日のブログでも書いたが、やはり夏より冬の方が空気が澄んで綺麗である。
二日目の朝、冬の透明感のある空に巨大な屋根が映える西本願寺にお参りしてから、午前ならまだ空いていることを祈りつつ祇園四条の「茶寮都路里」を訪れた。まったりした抹茶わらび餅を食して、京阪電車で宇治へ移動。宇治神社と宇治上神社をお参りして日本国の御加護をお願いする。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と応神天皇(父)と仁徳天皇(兄)が祭神であり、本殿は国宝である。護王神社が猪なら宇治上神社は兎である。道に迷っている菟道稚郎子を、兎が先を行きながら振り向き振り向き道案内をしてくれたことに由来する。
平等院で鳳凰堂を拝んで、「抹茶共和国」で抹茶ラテを飲んで、宇治で六代続く「山本甚次郎」で碾茶を試飲させていただき茶葉を購入。煎茶や玉露は蒸して揉んで乾燥させるが、碾茶(甜茶とは別物)は茶葉をそのまま乾燥させる。宇治川沿いの茶園で摘まれた茶葉を乾燥させる山本甚次郎の炉は嘉永元年(1848)に造られた現役最古だそうだ。低温でゆっくり淹れる碾茶は昆布出汁のような風味があると感じたが、アミノ酸などの旨味成分が多く抽出されると六代目が説明してくださった。
そして三日目は素敵な店員さんがいるSchool Bus Coffee Bakersで朝食を済ませて、応仁の乱勃発の地、上御霊神社に参った。小学校の友達と境内でかくれんぼやボール遊びをしていたときには意識することはなかったが、実は桓武天皇が実弟の早良親王(祟道天皇)の怨霊を鎮めるために794年に建立した「御霊神社」である。早良親王の強い怨霊は御霊神社だけでは収まらなかったようで、寺町丸太町にもうひとつ下御霊神社を造ったので区別するために上御霊神社と呼ばれるようになった。上御霊神社の目の前にある水田玉雲堂の「唐板煎餅」を十数年振りに買い求めた。清和天皇の御代、貞観5年(863)に疫病を鎮めるために神泉苑で催された御霊会の神前にこの煎餅を供え、広く人々に厄除けとして与えたのが始まりで、日本最古の焼き菓子と言われる。応仁の乱(1467-1477)で途絶えたが、文明9年(1477)年、当主が復活させ、それ以来500年以上も「唐板煎餅」を作り続けている。明治維新までは皇室に皇子が授かると御霊神社に参って唐板煎餅を求め、元気にお育ちになることを願ったそうだ(今でも遣いの者が来られるとか)。
最後に京都タワーの展望台に40数年振りに上がり、京の都を見下ろし、歴史ロマンに想いを馳せ新幹線に乗った。
動画はこちら(静止画をつなげただけですがぜひご覧ください)
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