大河ドラマは全然見ていないが、5月に白河沿いの明智光秀の首塚を訪れたこともあり、気になって光秀が襲撃されて自害したと伝えられる「明智藪」を訪れることにした。その前に、寺町通の阿弥陀寺にある織田信長の墓に掌を合わせる。

織田信長と親交のあった当時の住職、清玉(せいぎょく)上人が1582(天正10)年6月2日、本能寺の裏口から駆け付け、信長の遺骸の一部を法衣に隠し、本能寺から逃げ出す僧たちに紛れて持ち帰り供養したと伝えられている。明治天皇により信長に正一位が贈られることになり、各地にある「信長のお墓」が調査された結果、阿弥陀寺のお墓が本廟所であると認められた。

信忠・信長・信孝の墓

京阪三条で地下鉄東西に乗り換え石田駅で降り、炎天下のなかを歩いていると前方の小山の上に鳥居が見えた。たまたま通りかかったご高齢の女性にお訊きすると、小栗栖八幡宮だそうだ。階段を上がりお詣りしてから、本経寺と明智藪の小さな案内標識を頼りに進む。

急ぎ引き返してきた豊臣秀吉に山崎の合戦で敗れ(天王山)、琵琶湖畔にある坂本城に向かって敗走する道中、今の伏見区小栗栖小坂町あたりの竹藪を通過する際に潜んでいた農民に竹槍で襲われ、観念して自害した。遺骸が晒されないよう、臣下が首と胴体をわけて運ぼうとするが、は東山三条の梅宮町に、胴体は山科区勧修寺御所内町に埋められたと伝わる。

この山を越えてさらに北上すれば坂本か…

住宅や町工場や畑が並ぶ街道沿いの精米機の横にひっそりと佇む明智光秀之塚。明智光秀が織田信長を裏切った理由は謎のままだが、日本史に於ける超ビッグネームの自害の地、胴塚、首塚にしてはあまりに質素で訪れる人は皆無であり、少し寂しいような気もする。

いや、下手に知れ渡り、観光客が押し寄せて荒らされるより、心ある人たちに大切に継承され静かに保存されるほうが良いであろう。今までも再開発で撤去されてもおかしくなかったかもしれないが、このように遺されているということは、伝統や歴史を大切にする和の心であろう。保存に尽力されてきた方々に感謝申し上げる。

織田信長にも明智光秀にもそれぞれの想うところはあったであろうが、今、直面する我が国建国以来の最大の国難において、どうか協力し合って我が国をお守りくださるよう静かに掌を合わせてお願いした次第である。

投稿者

Seiji

三連勝 3RENSHO に四半期乗り、COLNAGO CLX3.0を経由して、COLNAGO C59に辿り着きました。そして最近、一度は手放した三連勝を再び手に入れました。C59と三連勝であちこち走る様子をお伝えします。

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