人の記憶というのは(少なくともぼくの記憶は)いい加減なものである。20年振りに将軍塚から夜景を見ようと思い立った。以前は自分の車でひょいひょいと行ったものだが、今回の帰京は新幹線だったので車がない。タクシーで行くか、あるいは地下鉄東西線の蹴上からちょっと歩くか、でも暗いしタクシーにしようと三条京阪から乗った。
蹴上を過ぎて山科に向かう手前で左の側道に入り、今来た道を立体交差して山道に入っていくのだが、なかなか将軍塚の駐車場に到着しない。あれ?こんなに山道を走ったっけ!?街灯もない山道をこの距離歩いて行くなんてとんでもない、タクシーにして良かった。
やっと駐車場に到着した。タクシーの運転手さんにちょっと待っていただいて展望台で写真を撮ろうとしたが、周囲が真っ暗でどこが展望台かわからない。駐車場からつながる広場に行くと少し灯が見えたが、こんなしょぼい「夜景」ではない。LAの夜景には敵わないが、昼間は無粋な京都タワーも含め、もっとスケールの大きい夜景の筈だ。近くのベンチで煙草を吸っていた若いお兄さんに「夜景ってどこから見るんでしたっけ?」と話し掛けると、「初めて来たのでわからないけど、これがそうなら期待外れですよね」と困惑していた。
まさか展望台がなくなったのだろうか。そんな筈はないとけっこう広い駐車場の周辺を歩き回ってやっと見つけた!!20年前は駐車場からも樹々の隙間から街の灯りが見えて、展望台はすぐにわかったのだが、今は樹々の枝が広がり、展望台への短い階段と街の灯りを隠していたのだ。
さきほどのお兄さんはまだいるだろうか。場所を教えてあげようと思って方向違いのベンチに行ってみたらすでにいなかった。駐車場に戻るとオートバイに跨ろうとしているお兄さんを見つけた。展望台が見つかったよ、こっちこっち!!と案内したら、大喜びして大いに感謝感激された。
さて、前置きが長くなったが、「将軍塚」とは単に夜景が綺麗なデートスポットではない。京都盆地を見下ろす小高い華頂山から、征夷大将軍である坂上田村麻呂が桓武天皇に、この盆地は天然の城塞であり、新しい都に相応しいと説明したとされている。そして、坂上田村麻呂は死後、甲冑を着て弓矢を持つ姿でこの地に埋葬され、都に危機が迫ると鳴動して知らせるという。
今こそ鳴動して日本に迫る危機を知らせ、この国を守って欲しい。
#将軍塚 #坂上田村麻呂 #桓武天皇 #平安遷都
※ サムネイルの画像は将軍塚ではありません