九十九谷展望台

いよいよ年末となってきた。車に積んで走りに行くのはこれが今年最後になるだろう。5時に起きて6時に出発。車の外気温計は1度。足のつま先と両肩にSportsbalmの “HOT”を塗り、シューズカバーと手袋を二重にしてみたが、それでも先っぽが冷たい。

朝から香ばしい野焼きの匂い

久留里駅前スタートで465号を走る。畑や田んぼに降りた霜が朝陽を浴びてキラキラ輝いて美しい。写真を撮りたかったが、この寒さの中で手袋を外すのが嫌で走り続ける。いつもは途中で山の中に入っていくが、今日は465号のまま筒森神社(御筒大明神)を訪れた。

小高い丘にある小さな社

筒森神社の祭神は大友皇子と皇女十市。

壬申の乱(672年)は天智天皇の太子・大友皇子と皇弟・大海人皇子の皇位継承争いである。複雑な経緯があるが、単純化すると、本来は天皇の弟である大海人皇子が先に継承するところ、天智天皇が我が子可愛さに大友皇子を皇位につけようと策を弄した為、争いとなった。結局、大海人皇子が勝利して天武天皇になる。ちなみに日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇である。

拝殿の後ろに小さな本殿がある

大友皇子は琵琶湖沿岸の瀬田で自害し、御霊神社が建立されている。明治維新後の1870年、「弘文天皇」の諡名が贈られた。しかし、自害せずに逃れて、房総半島の俵田付近で最期を迎え、一緒に逃れた皇女十市はさらに山間部に入り、筒森の地で亡くなったという伝説がある。観光地ではなく、地元の人々が寄付によって支えている小さな神社で掌を合わせる。

来た道をそのまま引き返し走っていると、前方を子猿が横切った。少し脚を引きずっていたように見えたが気のせいか。久留里周辺の山間部で子猿やうり坊を見かけることは珍しいことではない。久留里駅にいったん戻り、トイレで用を足し、11月1日以来の鹿野山九十九谷展望台を目指す。相変わらずこの上りはキツイ。Lezyneのサイクルコンピューターは斜度12%を示している。ここの上りは途中にフラットなエリアがなくずっと登り続けるので辛いが、その分のご褒美は格別である。

今日もキツかった・・・

帰宅後、あらためて色々検索してみると俵田に「白山神社」があり、大友皇子の墓があるようだ。俵田という地名は確かに高速の木更津東出口から久留里駅に向かう途中に通過する。次回、久留里周辺を走るときは白山神社にも参ってみよう。歴史ロマンは続く・・・。

本日の走行距離  75.00 km
累積走行距離   1651.61 km
寄付予定額    16,516 円