
先週、本庄市の塙保己一の生家と記念館を訪れ、今日は渋谷区の温故学会(塙保己一史料館)を訪れた。温故学会は明治42年(1909)に保己一と同郷といえる渋沢栄一らが中心となって設立され、現在は公益社団法人になっている。保己一が作らせた版木17,244枚を保管している現在の建物は昭和2年(1927)に完成した文化庁の登録有形文化財。昭和32年(1957)には版木が国の重要文化財に指定された。

本物の版木が所狭しと並んでいる眺め圧巻である。ロゼッタストーンに引けを取らない、否、我が国にとってはロゼッタストーンよりも遥かに重要な版木の倉庫には水のスプリンクラーではなくガスによる消火装置が備わっている。

ヘレン・ケラーが手で触れた保己一の座像もレプリカではなく本物が展示されている。今でも注文に応じて有料で刷って製本してくれるが、本庄市の記念館で十七条憲法の版木のレプリカを見たので、すでに販売用に製本して並んでいた「聖徳太子十七箇條憲法」を購入してみた(1000円)。隣に並んでいた「竹取物語」はかなり分厚く7000円だった。

十七条憲法の第一条にある「和を以て貴しとする」は有名であるが、温故学会の齊藤幸一理事長のお話では、第二条の「篤く三宝を敬せよ。三宝とは仏、法、僧である」について、保己一は疑問を呈していたらしい。三宝とは本当は「神道、仏教、儒教」であったはずで、後に仏教勢力によって書き換えられてしまったと考えられるが、その証拠を保己一も遂に見つけるができなかった。

仏教の導入に否定的だった物部氏との勢力争いに勝利した蘇我氏は仏教を積極的に導入しながら、天皇をも凌ぐ権力を手に入れようとした(あるいは手に入れた)。推古天皇(第33代)の後に即位する予定であった聖徳太子は薨去し、舒明天皇(第34代)を経て、聖徳太子の子、山背大兄王が第35代として有力であったが、蘇我氏によって斑鳩宮に火を放たれ自害に追い込まれた(643年)。645年には中大兄皇子(第38代 天智天皇)と中臣鎌足による蘇我氏殺害(乙巳の変)により大化の改新が始まる。

仏教の導入から蘇我氏が権力を我が物にするなかで、第二条は改竄されたのか!?謎は深まるばかりだが、そのような疑問もあったせいか、保己一は、十七条憲法を群書類従の25分類のなかで、行政的な法律である「律令部」ではなく神道・仏教・儒教の様々な道徳的な教えとして「雑部」に分類したといわれている。