背中の痛みが和らいだのと、本日の好天は居ても立っても居られず、約1か月振りにいよいよ出撃。江戸川は2月23日以来、且つ江戸川の100kmつまり関宿城リターンは実に昨年の10月5日以来である。

埼玉側から玉葉橋で千葉側に渡ったが、やや追風に乗って一気に関宿城に到着。菜の花は終わっているが、すでにサイクリングロードに覆い被さる最悪の雑草化し始めている。恐ろしいほどの種をつけて、これが一斉にはじけて風に乗って飛散することを考えると、堤一面が真っ黄黄になるのも頷ける。ちなみにこの菜の花は外来種なのだろうか。それが気になる。

関宿城駐車場に地元の商工会のような人たちが屋台を出していて、いつもはスルーだが、今日は久し振り過ぎてお腹が空いたので、立ち寄ってみた。消費カロリーを超えて摂取しては意味がないので、蒟蒻の田楽をいただいた。このへんで蒟蒻芋が獲れるんのかと尋ねてみたら、蒟蒻芋からではなく、粉から地元の工場で作っているそうだ。蒟蒻の味というより、味噌の味が美味かった。

蒟蒻を食べている長机に募金箱と幟が設置されている。このすぐ近くにある鈴木貫太郎記念館再建のための募金だった。鈴木貫太郎はポツダム宣言受託時の内閣総理大臣であり、海軍大将、連合艦隊司令長官や軍令部長も歴任している。昭和天皇の侍従長も務め、妻は昭和天皇幼少期の教育係でもあった。二・二六事件では鈴木貫太郎も襲撃され、睾丸に銃弾が残ったままである。いよいよ敗戦が避けられない戦争末期、終戦に向けた舵取りを任されたのが、昭和天皇の信任篤い鈴木貫太郎であるがすでに77歳だった。

記念館が雨漏りなどにより閉館しているので、なんとか再開したいと話してくれた屋台の人に、ポツダム宣言受託だけではなく、なぜ日米開戦に至ったか、昔は軍部の暴走や一方的に侵略国家日本が悪いような自虐史観を教え込まれたが、今ではヴェノナ文書やミトロヒン文書などでもわかるように、日本が悪いわけではないという研究が進んでいる。戦争を避けたかった昭和天皇のお気持ちを一番近くでわかっていたはずの鈴木貫太郎の記念館でこそ、開戦の背景もぜひ発信して欲しいと述べて1000円札を募金箱に奉じた。話にはややキョトンとされたが、1000円の募金に驚きそして感謝された。こんな自転車乗りでも鈴木貫太郎について詳しい人がいるのだと嬉しく感じていただければ良いのだが、なんか変なおっさんと思われただけかもしれない。
帰りは案の定、向風で最後の20kmはかなりキツかったが、それさえも気持ち良く感じられる最高のサイクリング日和だった。
本日の走行距離 100.86km
2025年7月26日からの走行距離 1284.35m
寄付予定額 12,844円
2020年7月26日からの累積走行距離 11,572.67km
SCを出てChicagoまで 1192.33km