先週末のこと、まだ桜は咲いていないだろうと思いつつ、醍醐寺に行ってみようと思い立ち、地下鉄東西線に乗ったが、豊臣兄弟効果で人が多いのではと気が変わり、そのまま浜大津に出て、三井寺を訪れた。名前はよく目にするが行った記憶がない。昔、中野浩一(福岡35期)井上茂徳(佐賀41期)滝澤正光(千葉43期)の全盛期、三条京阪から浜大津に出て、無料送迎バスで琵琶湖競輪場に高松宮杯を観に行ったものだが、今はもう競輪場は廃止された。

京阪石山坂本線の三井寺駅を降りて三井寺が広がる長等山に向かって歩くと、琵琶湖疎水の取水堰に着く。京都側の南禅寺や蹴上周辺はよく歩くし、山科あたりも訪れたことがあるが、琵琶湖からの取水堰を見るは初めてである。明治維新後、天皇が江戸に移られて寂れてきた京の都を再び活性化するために計画された琵琶湖疎水は、東京大学の学生だった田辺朔郎が卒論研究として設計し、世界的に高度な難工事を完成させた。京都は琵琶湖疎水により日本初の水力発電を行い、路面電車を走らせ、街灯を点し、殖産興業を進め再び活気を取り戻した。

琵琶湖を見下ろす三井寺は広大で見どころが多いが、限られた時間の中で真っ先に見たかったのは、天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に使われたという湧き水(井戸)である。金堂の横にある霊泉を守るために1600年に建てられた閼伽井屋(あかいや)は重要文化財になっている。

今でも耳を澄ませば水が湧き出る音が聴こえる。三柱の天皇の産湯に使われた井戸、神聖な御井(みい)の寺と呼ばれたことが三井寺の由来であろう。目を閉じて掌を合わせ、我が国の御加護をお願いする。

現存する金堂は豊臣秀吉の正室北政所が再建したらしい。その正面に無名指灯籠(むみょうしとうろう)という不思議な名前の大きな灯籠が立っている。645年の乙巳の変で蘇我入鹿・蝦夷親子に天誅を下し、大化の改新を進めた天智天皇が、蘇我氏の菩提を弔うために、左手の薬指(=無名指)を自ら切り落とし、灯籠の台座の下に納めたという。

他にも重要文化財の襖絵や弁慶が奪って後で戻されたという梵鐘など見所は多い。いつか桜の季節にもっとゆっくりと訪れたい。今こそ日本の歴史、伝統、文化を大切に守り抜き、後世に遺さなければならない。