ちょっと野暮用があって、11月23日の新嘗祭から京都に帰り、野暮用の合間に近場のお寺で紅葉を愛でて、そして念願の元伊勢 籠神社と眞名井神社を訪れた。
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山であり、正式には萬年山相國承天禅寺というらしい。14世紀末に室町幕府三代将軍の足利義満により創建され、金閣寺(鹿苑寺)や銀閣寺(慈照寺)も相国寺の塔頭である。今でもかなり広いお寺だが、昔々はもっと広く、周辺の町名に名残が見える。たとえば、塔之段町は七重塔があった場所であり、毘沙門町は毘沙門堂があった場所である。
そんな広いお寺には狐や狸など、いろんな野生動物が共存していたようだ。ある日、塔頭のひとつ慈照院で千宗旦(利休の孫)が見事なお点前を披露していたとき、もうひとりの宗旦が現れた。驚いたお点前をしている方の宗旦は慌てて茶室の窓を蹴破って逃げ出した。後日、井戸に落ちて死んでいる白狐が発見され、きっとあの「宗旦狐」だろうと祠を建てて供養した。慈照院の茶室の窓が一般的な茶室より大きいのは、宗旦狐が壊した窓を修繕したからだとか。
真如堂は入口で拝観料を払ってお参りするお寺ではなく、広い境内が開放されていて、秋になると見事な紅葉を見に人々が訪れる。比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺で、正式には鈴聲山真正極楽寺というらしい。錦林車庫の裏の坂道を上がり、通用門から入る。青空と三重塔をバックに透過光で紅葉を撮りたかったが、生憎この日は鉛色の曇天である。しかし、曇天は強い影ができず、光がよく回り、撮りようによっては晴天にない良い写真が撮れる。
境内を歩いていると黒谷さん(金戒光明寺)への道標を見つけたので、細い道を進む。会津藩士の墓の前を通過して、京を見下ろす高台にある三重塔に出る。京都守護職に就いた会津藩主の松平容保が黒谷に本陣を置いたことから、鳥羽伏見の戦いで亡くなった会津藩士を祀っている。
翌日、念願の籠(この)神社と眞名井神社を訪れた。次に車で帰った際に行けばいいかと思いつつ、なかなか機会がなかったので、京都駅から特急はしだて1号で行くことにした。天気が心配だったが、二条駅手前で西の空に虹が出た。これは吉兆である。約2時間で天橋立駅に到着。約3.6kmの松林を歩いて渡ろうかと思ったが、今回は時間の節約のためにレンタサイクルで約5000本の松の木を抜けて反対側に渡る。
元伊勢といわれる籠神社は天照大神が伊勢神宮(内宮)にお遷りになる前に鎮座し、眞名井神社は外宮にお遷りになる前の豊受大神が鎮座されていた。籠神社の祭神は天照大神の孫にあたる彦火明命(ひこほあかりのみこと)、代々宮司を務める海部氏は彦火明命から数えて今で83代の子孫であり、その家系図は現存する最古の家系図として国宝となっている。
籠神社と眞名井神社にお詣りして日本の守護をお願いした後、リフトで成相山の傘松公園に上がり、逆光気味の天橋立を眺める。再びレンタサイクルで天橋立の松林を抜けて、リフトで天橋立ビューランドに上がり、順光で天橋立を見下ろす。外海である宮津湾と内海である阿蘇海を隔てる不思議な砂洲は、伊射奈岐大神(イザナギ)が伊射奈美大神(イザナミ)に会いに行くために、天界と下界を結ぶ梯子を立てておいたが、伊射奈岐が昼寝をしている間に倒れてしまって、それが陸地になったそうだ。なるほど、天に橋(はしご)を立てていたわけか。
15:51の特急はしだて6号に乗り、京都駅に戻り、イノダコーヒと志津屋のカルネを買って東京行ののぞみに乗った。
動画はこちら